『朝の風景』
日和 えむず 様
兄貴が、帰ってこない。 何の研究だかわかんねぇけど追い込みだって言って、もう一週間も帰ってこない。 研究室に寝泊まりしてるから、着替えを持ってきてくれっていう電話くらいしかねぇし、持っていってもすぐ部屋の中に入っていっちまう。 そりゃ、学年もとってるコースも違うし、何より頭のできが違うけどよぉ。 啓介は、暇つぶしに片づけかけた本をとりあえずベットに放った。 それは思い描いた軌道からずれて、不安定に積み上げられた本の山に当たって雪崩を起こした。 「ちぇっ、こんな近いとこから外すなんてな」 すっかりいじけモードに入った啓介は、ベットに寄りかかって天井を見上げた。 いつもはくつろぐ空間であるはずの自分の部屋なのに、くつろぐどころか息苦しささ え感じる。 大学生ってのは高校みたいに詰め込みじゃないから、もっと選択肢が増えて時間にも余裕があると思ってた。 それこそ、兄貴のそばにずっといられるもんだって思ってた。 でも、現実は・・・。 「ちぇ・・・っだ」 ずるずるとベットの縁をずり落ちて床とご対面した啓介は、肺の中の空気をすべて吐きだした。 瞼の裏に3日前の涼介との会話が浮かぶ。 研究室の外で待っていてくれた涼介に啓介が駆け寄る。 「アニキっ」 「すまんな啓介。使いっ走りにして」 よれよれの白衣に、目が笑っていない涼介の笑顔が怖い。 それでも、3日ぶりの再開に啓介は嬉しくて笑顔を上らせる。 「別にいいよ。・・・なぁ、アニキ・・・」 本当はいつ帰ってくるのか聞きたくて仕方がないけれど、疲れている涼介の顔を見ていると聞けなくて別の言葉にすり替えた。 「・・・風邪なんてひくなよ?」 「自己管理までは放棄しないさ」 「ん、アニキだもんな」 「じゃあ、気をつけて帰れよ」 「わかった」 少しだけ口元に笑みを浮かべて、軽く手を振ると涼介は研究室に吸い込まれていった。 瞼の裏に浮かぶ姿すら、ゆっくりと記憶の中に消えていく。 「・・・アニキ・・・・・・」 ため息の数だけ幸せが逃げていくってアニキ言っていたけど、逃げていくからため息が出るんだ。 「泣いちまうぞ?」 恋人をこんなに不安にさせてたら、だめなんだからな。 本人を前にしてしまえば、いてくれるだけでいいと思うけれど・・・。 自分のうっとうしさに見切りをつけて、啓介は一気に立ち上がる。 意味もなく気合いを入れてみるけれど、体のどこかに穴があいているように力が抜けていく。 夜が近づいてくると人恋しさが、胸の中でわめき出す。 寂しい、恋しい・・・。 温もりの記憶が涙腺を刺激して、一人でいることを思い出させる。 「だぁっ、うっとうしいぞ」 声に出して、うっとうしさを振り払うと啓介は部屋の中を猛然と片づけ始めた。 しばらくして、啓介にしてはきれいな部屋が完成した。 終わってみると汗だくで、いつの頃からたまっていたのかわからない綿埃やゴミが張り付いている。 「シャワー、シャワーっと」 自己満足に浸った啓介は、軽快な足取りでバスルームへ向かった。 汗と汚れを洗い流した啓介は自分の部屋の前で立ち止まる。 となりには、主のいない部屋が扉を閉ざしたままの状態で一週間放っておかれている。 「空気ぐらいは入れ換えておくか」 ドアを開けて入ると、さすがに締め切った感じ特有の嫌な空気に啓介は迷わず窓を開ける。 「アニキが帰ってきてこうだったら、いやだもんな」 少しだけ・・・といない部屋の主に、心の内で断りを入れてベットに腰掛ける。 澱んでいた空気は、冷たさに押し出されるように新鮮な空気と入れ替わっていく。 ふと、自分の匂いではない匂いに気づいて啓介はくんと鼻を鳴らした。 「・・・アニキの匂いだ・・・ってあたりまえか、ここアニキの部屋なんだし」 自分でつっこみを入れながら、そのままベットに仰向けになる。 「へへっ、アニキがそばにいるみてぇ」 掃除の疲れからか、それとも匂いに安心したのか啓介は眠りに引き込まれた。 「っ・・・すけ・・・啓介」 「んあ?」 「濡れた髪のままで眠って風邪をひくぞ」 「アニキ?」 揺り起こされながら、ここにいるはずのない人物に問いかける。 「やっと、終わって帰ってきたんだが」 呆れたように言葉をこぼす涼介に、啓介は言いたかった言葉で出迎える。 「おかえり」 「・・・・ただいま、啓介」 涼介は啓介に抱擁とキスを降らせた。 くすぐったそうに身をよじりながら、嬉しそうに受け入れる啓介は夢見心地のように目を細めた。 「おかえりぃ・・・」 そう言ってすり寄ったかと思うと、啓介はずるずるとベットに沈んでいった。 「・・・微妙な立場だな」 こうまで安心して身を預けてもらえるのを誇るべきか、それとも恋人との抱擁中に眠りに入られてしまうのを悲しむべきか。 「まあ、今は添い寝で勘弁してやろう」 しばらくは、家に帰れる生活ができるわけであるし・・・。 自分を納得させていた涼介の口元がゆるりと弧を描いた。 「・・・と思ったが、一週間分の大事な逢瀬が削られているわけだしな」 こんなにおいしそうな啓介を目の前にして、添い寝で勘弁してやろうというのは恋人として失格だろう? 「なあ、啓介?」 安眠をむさぼっている啓介は、発音のはっきりしない寝言で涼介の問いに答える。 「・・ん・・・ア・・ィ」 寒かったのか少しでも暖かいものを体のそばに置こうと、啓介が涼介に抱きついてくる。 「ふっ、期待に添わせてもらおう」 体温が高いのか、冬でも薄着の啓介の服を脱がすのは容易だった。 「んっ」 寒さに震える啓介がますます抱きついてくるのを嬉しそうに抱き返しながら、啓介の唇を舐めた。 うっすらと開いた唇に誘われるように深く口づける。 絡めた舌先が息苦しさからか震えた。 「ア・・・アニキ!?」 眠りから強制的に起こされた瞳が見開かれる。 「俺以外に誰がこんなことをするんだ?」 にこやかに問いながらも、もし他に該当者がいれば闇に葬り去ってやると言外に匂わせる涼介に啓介は本物だと確信する。 「アニキ以外にいねぇよっ」 必死で否定する啓介に涼介の目が満足げに細められた。 その間にも涼介の指先が啓介の体の隅々にさざ波を起こさせていく。 そのさざ波が最後に腰に到達して、一瞬で体中を焼き尽くす。 「アニキィ・・・」 自分の身体の変化に情けないような、切ない声で啓介が縋る。 そんな啓介を前にして、涼介は楽しげに啓介の首筋に軽く歯をたてた。 「啓介、夜が長くて良かったな」 「・・・え?」 啓介の疑問には答えず、涼介は啓介の唇を自分のそれで塞いだ。 こもった熱が甘い毒となって全身に回っていく。 意図せず涙目になった啓介に煽られた涼介が、宣言通り夜が明けるまで啓介を離すことはなかった。 「ん・・・?」 自分とは違う温もりに違和感を感じた啓介が目覚めると、見慣れた肩のラインが目に入ってくる。 「アニキ!?」 びっくりして固まったまま、啓介は必死で記憶をさかのぼった。 部屋の掃除を久しぶりにして、シャワー浴びて、アニキの部屋の空気の入れ換えでもって窓あけて、少しだけと思って寝ころんで・・・そのまま眠っちまったのか? そういえば、アニキが起こそうとしてたような・・・。 「っ・・・」 不意に、朝方までの再現がよみがえってくる。 う、わあぁぁぁぁ〜〜っ。 声のない悲鳴をあげながら、ぐるぐると思考の渦に取り込まれた啓介が身動いたのに涼介が少しだけ反応する。 「ん・・・」 とっさに息を潜めて、涼介を窺う。 単に身動いただけだと知って、啓介は肢体の緊張を解いた。 「・・・アニキより早起きなんて、なんかすげぇ」 起きていないか観察を続けていた啓介は、照れくさそうに笑った。 きれいな頬のラインにそっと触れてみる。 深い呼吸のまま、眠り続ける涼介に啓介は辺りを窺う。 誰もいないことを確認して、啓介はそうっと涼介の頬にキスをする。 「アニキ、おはよう・・・なんてな」 まるで、ドラマのような恋人同士の朝だと、啓介は身もだえしたいような、そっと秘めておきたいような複雑な気分にほんわりと相好を崩す。 そして、そんな朝の雰囲気に浸りきるために啓介は、涼介の背中に自分の頬を寄せて、再び眠りに吸い込まれていった。 終わり |
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