兄弟喧嘩。 |
空港、カウンタ前のロビー。第1便チェックインまでまだ2時間。 不意に視界に影がさす。 足元に落ちていた視線、やや躊躇いがちにパンアップ。目の前に立つクセ毛の少年のふてくされ気味の顔。 行き交う人々の背景を自分の身体で遮るように堂々と。 本当なら顔を見なくても気配でわかる。………星矢。 「水臭ェぞ一輝。帰るなら帰るってちゃんと言えよな」 見送りなど要らないから、必要最小限の人間にだけ告げてきたというのに。 そんな心中知ってか知らずか、あれこれ目に留めては一人で勝手に喋り続ける。しかも自己完結系。タチが悪い。 「…へえ。お前のそんな格好初めて見たぜ。つーか私服で会ったことないもんな良く考えりゃ。持ってきた訳じゃないよな、聖域で用意したんだろ、たぶん邪武の趣味だぜこのM2−B。そういえば荷物ないのか? …ってもう送ったのか、だよな、聖衣箱なんか旅客機に乗せてくれないよな、さすがグラード財団、手配がいいね」 ついでに自身も乗せて行ってくれれば文句はなかったのだが貨物用セスナに空席があるはずもなく。 「そんで、何番ゲートから何時搭乗?」 ちょっとの間でも黙らせるため仕方なく確認のためチケットを取り出し眺める。……と、横からひょいと伸びた手が素早くチケットをかすめ取り、止める間も無くチェックインカウンタに向かって「これキャンセルして今日の最終便に変更して下さい」。無遠慮な音速の風に巻き込まれて吹っ飛ぶ一般人がいないのはここギリシアが既に観光シーズンを終えたからだ。それがせめてもの幸い。……信じられない。 「せっかくギリシア来て観光もしないで帰るのか? はー、日本人の風上にも置けねえ奴だなお前。どうせ帰ったってやること無いんだろ? オレがガイドしてやるから有難く観光しろよ」 冗談ではない。慌ててカウンタへ今の申し出の取り消しを求めようと顔を向けると、今まさに目の前で第1便の最後の席、つまりは星矢がたった今勝手にキャンセルしたチケットが商社マンの手にわたるところであった。次の便を探すが、シーズンオフにありえない満席。何たる偶然。光速拳より速いタイミング。 まさか、返せとも言えまい。結局手元に帰って来たのは今日の最終便のチケット。 「さて。あと6時間ちょいか。一輝、どこから見たい」 やたら楽しそうに目を輝かせる確信犯。………信じられない。このクソガキ。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ フィロパポスの丘、アテネ市を一望できる丘。向かいにリカヴェトスの丘。眼下にアクロポリス。風が冷たい。 ヘロデス・アティコス音楽堂はさっぱり一輝の記憶に残らず、ゼウス神殿は市内を行き来する間ちょくちょく見かけられたが気にも留められず、国立考古学博物館に至っては欠伸をかみ殺すのに彼は必死だったかもしれない。そもそも聖域だって同じ古代建造物なのだから見飽きているし、石像や黄金の仮面など見たところで面白くもなかった。 だが星矢は面白かったに違いない。戦いの場でしか会うことのない男を、思いつく限りあちこち引っ張り回し、すっかりガイド気分で饒舌な説明を聞かせた。今も肩を並べてあちこち指差しながら喋り続けている、エレクティオン神殿の列柱は6人の若い女の石像で排ガスの被害が酷いから今は取り外されてレプリカが入っているだとか、パルテノン神殿は戦時中に爆薬庫として使われた事があり敵の標的になって爆弾を投下されたため内部が空なのだとか。 唯一助かったと思えたのは、あれこれ口に出して問う必要がなかったことか。あるいはガイドに向いているのかと思える程、星矢は実にいいタイミングで一輝の視線がとまった先を拾う。自分の話をきいているかどうかを的確に察して、興味が失せたと見えれば適当に話を切り上げ、先に立って歩き出す。 下手をすれば一輝は相槌さえ打たなかったかも知れなかった。 「昔はあの中にアテナの像があったんだと。今は聖域にあるけどな」 眼下に見えるパルテノンは確かに、大理石の破風にクレーンが食らいついているというミスマッチが絶妙に痛々しい。崖の下から吹き上げる風は冷たく、歴史の参考書に見られる透明に青い海は見る影もなく淀んだ灰色。こんな気候でもなければ恐らくエーゲ海クルーズにまで連れ出されていただろう。今のギリシアはそろそろと冬に向かいつつある。 「あのさあ……お前、無駄口禁止してんの」 久々に観光ガイド以外の言葉を耳にした気がした。 遥か展望から、身長差10余センチ下にある顔に視線を引き戻すと、不満気かつ顔色を窺う様な視線とぶつかる。 「さっきから俺ひとりでベラベラ喋っててバカみたいじゃねえか、何かないのかよ、言いたい事とか」 無駄口だけではない。他にも色々な事を禁じている様に星矢は思う。楽しむ事。楽にする事。楽をする事。楽になる事。それはもうストイックが聞いて呆れるほど。 言及されることに耐えられなくなったかの様に一輝はリカヴェトスへ視線を放した。夏ともあれば、あの丘からこちらを見下ろす観光客が見えるはずだ。ほとんどの客は展望を求めてリカヴェトスへ登る。アクロポリスさえ見下ろす360度のパノラマはさぞかし雄大だろう。 「何が言いたい」 「え」 ぎょっとした。 もしや今日初めてまともに口を利いたのではないか。星矢は勿論、本人でさえそう思ったかもしれない。それよりも、決して声を張らずに喋る一輝など初めて見た。戦闘の時の、あの激しさはどこへやったのか。ほんの一言に思わずうろたえる。 「言いたい事があるから俺をここまで連れ回したんだろう」 2回驚愕。見抜かれていた。しかもこの機を待たれていたなんて。やられた。 何故だろう。戦いの場でしか会うことはなかったのに、何もかも見透かされている気がする。 沈黙の長さで反論がないことを確かめてから、また同じ口調で一輝が宣る。 「言え。婉曲も比喩も体裁も要らん言いたい事だけ明確に言え。バカの考え休むに似たりだ」 「……ひでえ言い方しやがる」 いつもそうだ。面倒事が嫌いなのか導火線が極端に短いのか、色々省く。省こうとする。合理主義にも程がある。でも、それでも間違えてない。的確で痛烈、厳しい程に気持ちいい位に。 でもここで何もかも言っちまったら、用事が済んでしまったら、お前またどこかに行っちまうんだろ。 そんなの勿体ないじゃないか。せっかく何も無いのに。なにもないのに。 少し、俯く間。 「なあ、スパーの相手してくれよ」 「……何?」 冗談じゃない、聖戦で受けた傷がまだ治っていないのに組み手などやってられるか、そもそも此処をどこだと思っている、ついさっき世界遺産に登録された遺跡だと言ったのはお前だろうが星矢と言いかけた反論を、冒頭も聞かず星矢は拳で遮った。それをかわす為、直線の軌跡から回りこむ様に半歩体を開く必要があった。ほとんど反射神経の賜物。 切られた空と、足元で擦られた砂が鳴く。聞き慣れた懐かしい音と感覚。 手首を捕らえ引き込む様に捻り上げると星矢の世界が腕を軸に回転した。 「痛ッてえ!」 背中から地面に落ちた星矢が悲鳴を上げる。が、すぐに上半身だけ起こすとニヤリと笑ってみせた。 「のったな?」 しまった、つい。 後はもう止める暇もなかった。片手を軸に足を水平に振り回し、跳び退いた一輝を追いかけ一閃、しかしヒットする前に掌底で流されバランスを崩す。姿勢を立て直す頃には既にきっかり計られた5歩の間合い、懲りずに踏み込み左右の連続ブローを放つ。本気でないにしろ一手一手が音速に近い風を捲きあげた。 血相変えた警邏隊がすっ飛んで来たので慌てて丘の斜面を駆け下り、アゴラまで撤退。 市場だというのに店はどこも空いていない。午後2時から5時までの間、シェスタと呼ばれる仮眠をとるのがこの国の習慣だという。1軒だけ開いている店を見つけて腹が減ったと星矢が騒いだ。ピタ・スブラキという、串焼きの肉をトマトやタマネギと一緒に薄いパンに挟んだ食べ物を専門で売っている店。1個400ドラクマ、日本円にして約150円。想像以上に安い。2個分支払って店を後にする。 「オレさあ、一度でいいから取っ組み合いの兄弟喧嘩してみたかったんだよなあ」 歩きながらにもかかわらず早速紙包みを開いて齧りつきながら星矢が言った。幸い通りには誰も歩いていないから誰かにぶつかってこぼす様な迷惑になることもないだろう。時折野良のネコやイヌが横切るが彼らには見向きもしない。モナスティラキ広場に着いてから開けようと思っていたが、同じ様に歩きながら食べた。 一輝は一度も攻撃してこなかった。しかしかわりに何度投げ飛ばされ地面に転がされたかわからない。星矢の拳はかわされ流され蹴りは体ごとバランスを狂わされ明後日の方向へすっ飛んでいく。守り一辺倒、あんな戦い方をすることも知らなかった。もっとも二人が本気で殴り合ったらアクロポリスが3分で崩壊するだろう、それにしても。 「1発も当たらないなんてちょっと癪だったな」 そう言って振り返ると、半分位になったスブラキをくわえたまま一輝が露骨に嫌そうに眉間にシワをよせている。 それでも険しい表情とは違っていて、それはやっぱり見たことのない顔で、 「やべ。もうそろそろ時間だ」 こう言い出すのが惜しまれた。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ようやく振り出し、エリニコン国際空港のロビーへ戻る。もう日は暮れかけていた。 「やっぱり言いづらいな、兄貴って」 聖域から支給されたパスポートと少ない貴重品の所在を確認している一輝の様子をじっと見守っていた星矢がポツリと言った。 面食らって顔を上げる。この期に及んで何を言い出したのか今度は。目を合わせると、照れくさそうに下を向く。 「いや、だからさ、一輝は瞬の兄貴なんだけどその、俺にとっても半分は兄貴なわけで、だからええと、名前呼び捨てってのもアレだし、ちゃんとそう呼んだ方が良かったのかって、でもその」 面白いほど歯切れが悪い。 昔まだ幼い弟がそうした時のことを一瞬思い出した。 本当に言いたい事というのはなかなか言い出せないものだと知っている。 照れくさい笑われたくない否定されたくない誤解されたくない傷つけたくない怖い。 だから少しずつ遠回しに相手を試すのだということも知っている。 いつ言ったらいい何て言ったらいいどう言ったらいいどこまで言ったらいい本当に言ってもいい? それは非常に曖昧で、行き違いと手遅れの基だということも知っている。 「言え。聞いてやるから」 だからこう促す。静かに丁寧に。 決して声を張ることもなく、けれど空港の雑音に消されることもなく、隣に座る星矢だけに聞こえればいい。 「バカの考え休むに似たりだ」 それきり一輝は黙った。両ポケットに手を突っ込んだまま行儀悪く足を投げ出して、身じろぎせずに待った。 「心配でさ、お前が」 呼吸と思考を整えるには長すぎる間。 ああダメだヤバイ、片付けようとしたものが堰を切って零れ出す。 「だって俺何も知らねえから、お前は何にも言ってくれなかったから、訊きたくても居なかったから、昨日の事も一昨日の事もそれよりもっと昔の事も居た所の事も傷跡の事もお前が普通に笑わない訳も何も知らねえから、でも訊いたって答えたくない事もあるんだろうと思ったんだ、治る時にも痛む傷だってあるだろうと思ったから何も訊かないでおこうと思った、お前が俺の兄貴だって事さえ知っていればそれでいいと思ったんだ、だから代わりに見たかったんだ、お前が普通に見たり歩いたり喋ったり物食ったりしてる所を見ておきたかったんだ」 最後の方は勢いに任せて並べ立て、肩まで上下させて息を継ぐ。 そうして呼吸がおさまっても一輝は動かなかった。さっきと同じ、ポケットに手を突っ込んで俯いたまま。 出国手続き開始のアナウンスが何ヶ国語かで流れ、周囲が慌ただしく動き出した。今日の最終便。ロビーの人口がチェックインカウンタから出国審査ゲートへと移動を始める。すぐに、金属探知機のアラートと苦笑が聞こえ始めた。ベルトのバックルでも引っ掛かったのか。 「じゃ、俺もう行くわ。見送られるの嫌だろ?」 自分が搭乗するかの様に星矢が腰を上げた。出て行く先は空港の出口だが。 「面白かった」 沈みつつある太陽に縁取られた建物が背中越しに見える。 「また来いよ」 白い町並みが赤く染まる時刻。もう行かなければ。 「悪い所じゃないだろ?」 もういかなければ。 「じゃあな」 足元に落ちていた視線、やや躊躇いがちにパンアップ。目の前に立つクセ毛の少年の姿。 行き交う人々の背景に色が溶け、彩が薄れて、輪郭が揺らいで、消える。 本当なら見送らなくても気配でわかる。 呼びかけたって探したって返事はない、もう二度と、始めから知っていた。 見送られるのは好かない、見送るのだって得意ではない。 「……俺が見送ってどうするんだバカ野郎」 誰もいない方向に小さく愚痴る。聞こえない様に、届く様に。 しばらくそうやっていてから、勢いよく立ち上がってバックパックに手を伸ばす。出国審査は思うより簡単で、手荷物チェックも金属探知機も問題なかった。足早にゲートラウンジへ向かう。もう搭乗は始まっており、チケットを提示してさっさと機内へ乗り込んだ。座席はまもなく見つかった。幸い窓側、右翼のすぐ前。この時間からのフライトなら落日がさぞかし綺麗だろう、暗くなれば国の栄え方が灯火の集まり方で判るようになる。 銀色の翼に照り返す日が眩しかったかの様に一輝は片手で両目を覆った。 なあ、見えるか。 俺が知りうる中で一番のバカが今そっちにいったのが見えるか。 慈しんでやってくれかつて俺にそうした様に。 そいつは神さえ怖気づかせたバカヤロウで、信じられないくらい奇跡みたいなクソガキで、 半分だけ、俺の弟だったんだ。 離陸を告げるアナウンスが流れ始めた。 [end] |
2003.04.20 FROM:榊[SAKAKI.s] 管理人へ まずは遅筆のお詫びを申し上げる。 もうしわけございません。 聖闘士星矢の主人公は物語の最後に死んだと俺は解釈している。 ありえない話だが誰かに別れを告げて欲しかった。 と、おっしゃる榊さん。 泣かせてくれましたね・・・と。 ホ●でなくても素でエロいと評される貴方のテキスト。 この話を読んでいて、管理人の書きたいジャンルとしては終わっていたはずS星矢を書きたくなった…(-゛-;) なんだかまだまだ、書き終えてない、そんな気がして。 |